(2008年執筆)

染色は東京都の伝統産業、新宿区の地場産業です


東京は、消費地であるとともに多彩な産業が私達の生活をささえています。
その一つにきものがあります。東京の染色といえば江戸小紋をあげる位に知られています。友禅染も染められていることは案外知られていません。日本橋の三越、高島屋でも新宿の伊勢丹でも扱っているのです。その多くは、京染めですとか、京友禅ですと言ってる場合が多いのです。

そうです。その美しい東京友禅は、東京都の伝統産業なのです。新宿区では、早くから印刷業と染色業ー江戸小紋、友禅染ーが、地場産業に指定されています。その呉服の歴史を辿ると呉服問屋に近い日本橋、浜町に東京友禅は始まりましたが、終戦後には高田馬場に中心を移して神田川を遡り、中野、練馬へとすでに百余年の歴史を刻んでいます。


東京の悉皆屋

呉服問屋の林立する日本橋・堀留を背にして真っ直ぐ来ると皇居に突き当たる。そこを右折、堀を左に見てここまで 3kmで九段会館(軍人会館)の前に来る。九段下から早稲田通りをさらに西に3kmで染工場、工房が集まる早稲田、高田馬場、落合へは、戦後の復興とともに染色関係の自転車、バイク、スクーターの往来は目覚しいものがあった。風呂敷き包みを荷台に、膝に抱えて、往来する様は、現在では途絶えて久しい。昭和40年頃の風景である。
「悉皆屋」を読める人もいないであろう。「しっかや」とは、どんな職業か知る人はもっと少ないに違いない。

悉皆屋は、多くの職人を抱えるだけではなく、豊富な知識と専門知識を持っている。デパートや小売店から白生地を預かって、誂え初めや展示会用のきものを呉服問屋から白生地を預かり染め上げて再び収めるのが、悉皆屋の仕事である。京友禅の最大手の問屋、市田・柳選会、塚本株式会社・紅選会、京都丸紅株式会社・美展というブランドがあった。みんな東京でも染めていた。

市田株式会社・柳選会は京都と東京にあってお互いに競っていた。立岡染工所や二葉・佐藤、広井廣の双葉、長浜商店・長浜信雄、竹淵・長浜元二の長浜商店は東京柳選会の会員であった。 白生地を預かり 染め上げる悉皆屋である。いまでは、いずれも廃業して東京柳選会はない。これらの呉服は、京都に集められて、全国の呉服店で販売された。いずれも名前を京友禅と名前を変えたのは言うを俟たない。千代田染繍・木村は、京都の梅が枝会の会員である。洋画家の梅原龍三郎の生家、梅原商店の東京支店で修行して番頭として力を振るった実力者である。野球の一軍,二軍の名を借りて職人を技能で分けて工賃にランクをつけていた。

ここには、後に人間国宝(重要無形文化財保持者)になった方、美大教授になった方もいた。悉皆屋は豊富な資料と美術知識を持っていた。それは指揮者のようである。職人は音楽家をもってたとえることができよう。そのほかに中野商店・中野竜造と中村商店・中村作馬、有限会社奥野商店・奥野安治郎もいた。いずれも2代目が、細々ではあるが続けている。京都の高級呉服の老舗千総(ちそう)に収めている。千くさ・金子も縫い・箔の仕事でよい評価を受けている悉皆屋である。そのほかにヤマサン東京支店、塚本に収める神田の福井商店・福井千代治も悉皆屋である。東京の問屋で横倉商店、鈴佐、百貨店に東京山喜株式会社は、全国展開をしていた。京都から受注する悉皆屋には奥村商店、丸富があった。



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