(2008年執筆)

お江戸のアパレル産業
〜友禅染とは〜


友禅染め、友禅として知られているきもの、染め物、染色技術は江戸時代・元禄期に宮崎友禅斎(創始者として称されている、生没年不祥・山辺知行)という人によって考案されました。
この染色技術は、糸目という防染法を主とした日本特有の染色法の発明で、この技術によって文様を自由に表現できるようになり、工芸の華ともいえる豪華絢爛な衣装を作ることに成功しました。(友禅斎の著書として 和歌物あらかひ、余情ひいながた・1692年が知られている)
それでは、これまでの染めの技法とどのように違うのでしょうか。これまでは、正倉院御物で天平の三けちとして知られる蝋けち、絞けち、夾けちによって、単独またはその組み合わせで染められていました。いずれも形を表現したり組み合わせて文様にするにはまだまだ不完全なものでした。ですから文様のような複雑なものは、織物でしかできなかったといっても良いでしょう。やがて16世紀安土・桃山期に考案された”辻が花”が出現しました。。これは絞り染めを主体とした絵模様に墨によって描き絵を線とぼかしで補ったものでした。しかしまだまだ、女性を魅了するアパレルとして開花するには充分なものではありませんでした。文様を表現するには、自由な配色ができなければなりません。つまり形や文様は色と色、形と形の組み合わせですから、彩色するときに形を正確に遮るものが必要です。
そこで、友禅斎はこの遮るものとして、食用の餅糊を使ったのです。下絵の上(糸目)をなぞるように餅糊を置いて(糸目糊)できた空間に色を差しました。(この技法を総称して友禅、友禅染め、糸目友禅といいます)これでどのような模様も衣装に表現することも可能となりました。今日に続く京友禅の誕生です。

こうして、京都では友禅は現在に繋がる産業となりましたが、江戸ではどうだったでしょう。
京染めを江戸で染める三代目 このような川柳がありますが、残念ながら100万都市のお江戸で友禅を染めたという確かな証拠はないというのが定説だというのですが、ほんとにそうでしょうか。私は自分の疑問を晴らすために5年前から書店の棚を調べたのです。江戸に関する書物が次々とでますが、その中でついに見つけました。最近面白い時代小説を発見しました。
南原幹雄著「大江戸職人異聞」秘伝 毒の華にあったのです。引用しましょう。
皇女和宮へ将軍から結納になる品のうち、小袖二枚茜屋が申し受けたというのです。宮崎友禅斎から百数十年経て、江戸隋一の染問屋となった茜屋は、その挿し色と特に蘇芳、一位、あんず、山桃などの染料に泥媒染した地色で京、加賀の一流問屋に負けないものであった。そこで将軍家では、京の職人にわずらわせることなく、江戸からのものは江戸で調達しようとした。というのである。また、江戸での友禅の需要が急増したために、技巧を要する染めをみな京に注文することが出来なくなって、江戸前友禅が見直され・・・。今著者に問い合わせているところですが、いま、これが史実であって欲しいと願っています。
江戸といえば越後屋有名な話として京都・室町に江戸の豪商・越後屋は仕入れ部をおき京友禅を江戸に運び、繁盛していました。
反物の切り売り現金掛け値なしつまり現金仕入れによる大量仕入れと大安売り、今日でいう価格破壊をしていたようです。商売の原点として時代を超えるものが有ります。小売業の旗手としてぜひ頑張ってほしいと伝統ある三越・呉服部にエールを送るものです。
こうしてお江戸の女性たちは、お芝居や役者絵や遊郭からのきものの流行を敏感に感じ取って、手を通す喜びを日々感じ取っていたのでしょう。時代小説の衣装くらべは、京、江戸の大商人の奥方が、豪華さを競ったものとして興味が有りますが。小袖幕は、春の宴を紅白の幕にかえて小袖を掛けたというものでした。今日のアパレル事情と照らしてみていかがでしょうか。
宗孝夫(二期会テナー歌手/東京)氏は小袖幕を配した演出を染色家と計画していると聞きましたが、さぞや豪華なものとなることでしょう。


  
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